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金属類回収令による鉄の回収の様子

金属類回収令による鉄の回収の様子
  • ピエリ守山で開催されていた「守山今昔写真展」で見つけた写真です。
  • この写真は守山公文書館にあり、撮影は、昭和18年(1943年)とされています。
  • 金属類回収令が発布され、守山駅で回収された金属と軍関係者がいる様子です。
  • 実は金属類回収令で、当院に逸話があり、ご紹介したいと思います。
  • 「旧西藤小児科、正面玄関」のページで太平洋戦争中の「守山駅の列車への機銃掃射」について触れました。
  • 守山駅で米軍の機銃掃射で負傷した方は、駅前通りにあった太田医院(現在はありません)と岸本眼科、そして当院に次々に運ばれてきました。
  • 創傷処置には、縫合する針が必要です。手術にはメスや鉗子などが必要です。
  • しかし「金属類回収令」で、病院でも金属でできていたメスや鑷子(ピンセット)なども供用されていました。
  • 処置に使われる金属の器具は医院にほとんどなく、鑷子や外科剪刀(ハサミ)も”竹製”だったそうです。
    • 金属製の器具があると、政府の命令に従わなかったとして処罰されることも。。
  • ところが初代院長(至誠)は、処置に必要な、金属製のメスや鑷子、外科剪刀を、軍に供用せずに、大事に保持していたのです。
  • 町内では、金属製の器具が西藤小児科に残っていると、噂になったそうです。
    • ただ、軍に告げ口をする住民はいなかったようです。
  • 精緻な縫合処置を受けられ、当院に運ばれた負傷者で亡くなった方はいなかったと聞いております。
  • 運ばれてきた負傷者の中には、出血が止まらず、足の切断を余儀なくされた方もおられたと伝え聞きます。
  • その方の手術も、道具がそろっていた当院に運ばれたから、九死に一生を得たのかと、想像しております。

  • 以上のお話は、長男がボランティアで老人ホームにお手伝いに行った際、入所している方から聞いてきました。
  • 長男の「西藤」という名札をみて、もしやと思い尋ねられたそうです。初代院長からは曾孫になります。
  • これは私が親族から聞いていたことと、ほぼ同じ内容で、確固たる証拠はなかったのですが、他の方も同じ逸話を語っておられる事から、おそらく事実であったのであろうと思われます。
  • 軍の写真は、当院とは関わりはないので写真陶板の製作には至りませんでしたが、守山で実際に金属類の回収がなされている写真を見て、初代院長の逸話がますます意義深く感じました。。
  • 政府や軍などが指示があろうとも、一人一人が、よく考えて職務や良心に従って行動する事が、いかに大事かと
  • たくさん集められた金属類の山を背にして、こちらをじっと見つめている軍関係者の目は、私には そう語りかけているように見えます。

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Last-modified: 2020-06-04 (木) 10:28:56 (112d)